宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

できる時にできることをできるだけ

私は、夫と二人で暮らしている。子供はいない。私は週三日か四日パートで働いていて、夫は働いていない(もう老齢年金をもらえる年だ)。なので、家事の分担がけっこうシビアな問題だ。時には夫が、「お前は働いているんだから、俺が夕食を作るよ」と言って、夕食のおかずを作ってくれる時もある。時には、仕事の帰りに夫からメールが来て、「今日何も用意してないから、弁当買ってきて」ということもある。そういう時、ガッカリしてしまうのは、たぶん、夫に期待しすぎているからだろう。特に、ちょっと残業して疲れてる時かなんかは、きっとうちに帰れば、夫がトントントトンと包丁でリズミカルにキャベツを千切りにして、トマトも切って、サラダをささっと作ってくれて、「おかずができるまでサラダ食べてなよ」と優しい言葉をかけてくれる妄想をしてしまう。ああ。

最近、夫がちょっと調子が悪くて、あまり家事をしない。前は、台所の片付けとか、毎日やってくれていて、すごく助かったのだ。自分が何もしないのに、朝起きると、台所はきれいで、水筒に麦茶が入っており、おにぎりもにぎってある、となると、まるで魔法使いがいるような心地がする。ところが、最近、麦茶とおにぎりはできているが台所は片付いてない、ってこともあるのだ。贅沢な不満だと思う。贅沢ほど、慣れてしまうと厄介なものはない、ということはわかっているのだが…

結局、家事って、できる時に、できることを、できるだけやるしかないのだと思う。私ができない時は、夫にお願いする。夫ができない時は、私がやるようにする。別に家事に限らないかもしれない。仕事だって、複数の人間が関わっていれば、できる時に、できることを、できるだけ、という原則は当てはまると思う。ちょっと単純化し過ぎかもしれないけど。でも、何か不満を持った時、自分だってできることしかしてないんだし、あの人だってできる限りのことをやってて精一杯なんだよ、って自分に言い聞かせると、少し楽にならないかな?そして、もし、自分一人で何かやっていても、できる時に、できることを、できるだけ、という原則は当てはまるのでは?ああ、これはもはや呪文だ。でも、この呪文、そんなに悪くないのではないかと思っている。少なくとも、今、私に書けることって、これぐらいなんだよね、と、少し自分を許せる私がいる。