お引っ越し
お引っ越し、といっても家を引っ越すわけではない。
ブログサービスのお引っ越しだ。
最近、周りの人の影響を受けて、note というブログサービス(?)でブログを書くことにしたんである。
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これでリンクが貼れるはずだけど・・・どうなんだろう・・・
note では、瀬戸さやかの名前で書いているので、「瀬戸さやか note」で検索すれば、note の記事は出てきます。
今後ともよろしくお願いします。
真っ黒いスニーカー
今は空前のスニーカーブームだ。以前、私は「スカートとスニーカー」という記事を書いたことがある。今は、スカートにスニーカーを合わせる時代なのだということだ。
スカートにスニーカー - 宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる
ところで、私にはスニーカーに関して悩みがあった。それは、洋服と合うかどうか、という悩みだ。だいたい、私の着る服の色合いは、カーキとか、ブラウンとか、ベージュとか、マスタードとかなのだが、そのような色と、なるべくたくさん合う色のスニーカーが欲しかった。
どんな色にでも合う靴。私の考えでは、それは黒い靴だ。だから、私の靴はほとんど黒い。革靴も含めてである。ちなみに、ふだん持ち歩いているカバン(リュック)も黒である。だから黒いスニーカーを探していた。
私の理想は、真っ黒いスニーカーだった。底の色さえ真っ黒であってほしかった。でもなかなか見つからなかった。
某有名メーカーの靴であるが、私は、柄が入っているというだけでなんだか気になった。その柄の色がパープル系ともなると、私の着る服の色とは全然合わないと思っていた。靴底も白いし…
その次に買った黒いスニーカーがこれだが、これはかなり理想に近かった。靴底も黒だし…でも、ちっちゃいトリコロールがついているのがちょっと気になった。私って神経質なんだなぁ。
そしてついに見つけたのがこの靴である。
この靴を見つけた時は、おお、ほんとに真っ黒!靴底も黒!ついに見つかった!とうれしかった。しかも、履いてみたら、サイズもぴったり!問題は二つあって、ひとつは値段が高いこと。この問題は、私の中では、どうしても欲しいもので使う回数も多く、他の欲しいものをひと月ぐらい我慢すれば捻出できるということでクリアした。もうひとつは、靴を脱ぐのに、靴紐をゆるめないとだめだということで、これは、真っ黒な靴を手に入れる代償としては小さいものだと判断した。
ついに手に入れた、真っ黒いスニーカー!欲しいものは、強く願い続けていれば、手に入る。たとえ長い時間がかかっても。
SuicaをiPhoneに入れると
さてさて、またもやキャッシュレス生活の話題である。この話題、苦手な人もあるようだが、まだ語ってないこともあるので、書くことにする。
今、私は、自分のキャッシュレス生活で、Suicaを主に使っている。私の行動範囲では、Suicaが使える店が圧倒的に多いからだ。ただ、Suicaを使える店は、PASMOも使える。実際私はPASMOも持っていて、以前はPASMOを使っていた。それが、なぜ今はSuicaを使うのか。それは、iPhoneにSuicaを入れたからである。
iPhoneにSuicaを入れて、一番便利になったのは、いつでもどこでもチャージできるようになったことだ。
以前、PASMOを使っていた時は、駅の切符販売機でしかチャージできなかった。だから、チャージし忘れというのがあった。
iPhoneに入ったSuicaは、いつでもどこでもチャージできるので、極端なことを言えば、電車に乗る時、乗車駅でSuicaをピピッとして、もし十分な金額が入ってなくても、電車の中でチャージできる。買い物をする時、十分な金額が入ってなくても、レジに並ぶ前にチャージすればいい。これが、SuicaをiPhoneに入れて一番便利になったことだと思う。
SuicaをiPhoneに入れて、もうひとつ便利になったこと。それは、使用履歴がiPhoneの画面上で見られることである。以前パスモを使っていた時は、駅で、履歴印字(?)をしないといけなかった。それが、毎日スマホの画面から見られる。もちろん、今、残額がいくらあるかが見られる。以前、PASMOのカードを使っている時は、今いくら残ってるのかがわからなくて、不便だった。
だが、SuicaをiPhoneに入れて、めんどくさいこともある。一番めんどくさいのは、Suicaで何かを買ったときに、支払いはスマホでするのだが、レシートは財布にしまう時である。スマホも、財布も出さなければならなくて、あたふたする。
もうひとつ、めんどくさいのは、家計簿である。現金で払った支払いと、Suicaで払った支払いと区別して書いて、それぞれに計算しなければならないからめんどくさい。前は、Suica(PASMO)で払った支払いが少なかったので、Suica(PASMO)での支払いは一応区別して書いたけど、チャージした時だけ記載して、計算はしなかった。でも、今は、Suicaでの支払いの方が多いから、計算もしている。
(頭に☆がついているのがSuica払い)
この頃さらにPayPay払いもあるので、悩みが増えているのだが、PayPay払いは、私の生活の中ではまだ少ないので、家計簿には一応書くけど、集計する時はチャージのみの記載で乗り切ろうかと思っている。
皆さん、家計簿はどうしているのだろうか??
これが、キャッシュレス生活のリアルな悩みである。
「ヒサシブリダネ」
「ヒサシブリダネ」
昨日、行きつけの中華惣菜屋のおばさんに、その言葉をかけられた時には、驚いたけれど、うれしかった。
昨日は、一時間以上残業して、家の最寄りの駅に着いた時は、七時を過ぎていた。夫にメールしたら、「寝てたから今日は総菜ね、俺はチキンカツ(^^)」という返信が来て、今日は総菜か、と思いつつ、私の足は行きつけの中華惣菜屋の方へ向かった。
去年、夫が入院して、つかの間の一人暮らしをしていた時に、よくお世話になった店だった。私は、その店のおばさんが好きだった。中国語なまりの日本語で、ぐいぐいと、これがおいしいよ、これもいいよ、と勧めてくる。疲れてあまり頭が回らない時は、そのお勧めに従うのも心地よいものだったのだ。
昨日も、残り少ない総菜があり、三個で五百円と紙に書いてあった。三個は食べきれないなぁ、でも、パッケージには、396円と書いてある。ちょっと高くつくかもしれないけど二個を選んで渡したら、「はい、二個で428円ね」と、割引の値段設定がよくわからないのだが、とにかく安くしてくれた。レジを打ってくれた後の、「ヒサシブリダネ」だったのだ。
覚えていてくれたんだなあ、と思った。そういう言葉に、私は弱い。おばさんも、私がそういう言葉に弱いのを、知っているように思える。大げさに言えば、こんな人間関係も、生きる支えになっているなぁとつくづく思う。
明日何着よう?
日々暮らしていて、夜寝る前の、私の大きな悩みが、「明日何着よう?」というものだ。
私は最近週3回のペースで、パートで働いている。仕事に行く日は、カジュアルウェアでOKとはいえ、スカートは駄目とか決まり事もあるから、決められた範囲で服を選ぶのだが、その中で、今日来た服とは違う色合いにしよう、とか、雰囲気の違うデザインにしようとか、考える。当たり前だよね?そうだといいけど…
あと、どちらかというと寒さに弱いので、厚着をする。クーラーがガンガン効いているところでは、カーディガンを羽織る。今日などは、周りの人はあまり着ていないが、薄手のコートを羽織っている。
寒さに弱いというのはまさに、ちょっと空気が涼しいとか寒いとかだと、風邪をひいてしまうレベルだ。だから、ちょっと肌寒くなったなと思うと羽織りものを着る。季節的なアレルギー性鼻炎もあるので、要注意だ。
そういうことも含めて、「明日何着よう?」である。だから、テレビの天気予報は必ず見る。うちの天気予報の定番は、NHKの首都圏ニュース845の天気予報だ。
休みの日、どこかに出かけるとなると、話は違う。スカートも履ける、ワンピースも着られる、ノースリーブもチュニックもフード付きパーカーもOK、ワイドパンツもOKなど、断然自由度が増すのだ。
しかしそこでも、天気が気にかかる。最高気温は何度かによって、半袖か、長袖か、はたまた羽織りものを考え、靴を脱ぎ履きする機会があるかで靴にも気を使わなくてはならない(職場は革靴ダメ)。
そこで、休みで出かける日は、鏡の前でひとりファッションショーとなる。その鏡は、以前、着物の着付けを習った時に、姿見が必要だということで買ったのだが、いまや、ひとりファッションショー用の鏡と化している。トップスとボトムス、とっかえひっかえ…というほどは持ってないのだが、多少は選択肢がある。
知り合いのお洒落な人で、服を買うときは一時間ぐらいあれこれ試着する、という話を聞いて、感動して、それ以来、服を買うときは必ず試着するようにしている私。もちろんひとりファッションショーにも時間をかける。
そうやって選んだ服を着て出かける時は、汚さないように、とか、どう見えるかな?とか気になってしまうので、ひとりファッションショーをしている時が、実は一番楽しいかもしれない。
母は数学の先生
おととい、仕事の帰りに、バケット(フランスパン)を買った。私は、朝、このパンを食べるのだが、3日かけて食べる。このパンは250円。1日あたりいくらだろう?250を3でわると、と考えるがパッとは暗算できない。だけど、240を3でわると80で、90×3が270だから、250÷3の答えが80と90の間であることは察しがつく。
そんな考え方は、母から教わった。母は、中学校の数学の先生だった。もっとも、母が中学校の先生をやっていたのは、結婚する前の1年間だけで、母は、結婚すると父の望みで専業主婦になった。とはいえ、私が子供の頃は、家の一部屋で、近所の子を集めて補習塾みたいなことをやっていた。
そのかたわら、自分の子供にも、計算のちょっとしたコツとか、ちょっとずるいやり方のようなものを教えてくれたのだ。「算数の探検」という、小学校の算数を物語仕立てで読める本のシリーズも家にあり、私はよくそれらの本を読んでいた。
私は中学受験をしたのだが、その時の算数の勉強は、すべて母に負うていたと言ってもいい。小学校の範囲の算数は、母のおかげでなんとか切り抜けられた。
中学校に入ると、学校が受験校だったこともあり、母の手に負えないような感じになって、だんだん数学が苦手科目になってしまった。
いろいろあって、補習塾を続けられなくなった母は、ちょっと寂しそうな感じだった。
母は、父の兄のつてで、通信制高校の添削教師を長いこと続けていた。それだけが唯一、母の「仕事」だった。
母は、普段は口に出さなかったが、本当は仕事を続けたかった。だから、たまに気分が高ぶると、名刺が欲しい、とか、アルバイトしたい、とか言い出す。普段は無口な人なのだが。
補習塾をやって、自分の子どもにも算数を教えていた頃が、母にとって一番充実していた日々だったのかもしれない。
我が家の生きもの係
我が家には、セキセイインコが一羽、金魚が三匹、メダカが十匹、どじょうが一匹いる。こう書いていると、ずいぶんたくさんいるなぁと改めて思う。
その生きものたちの世話を一手に引き受けているのがうちの夫だ。うちにいる、すべての生きものたちを連れてきた(買ってきた)のは、夫である。ベランダにあるこじんまりとした花たちも夫が連れてきたものだ。花たちの世話をしているのも夫だ。
夫は生きものが好きなのだ。夕食を食べている最中にも、水槽を見て、メダカの数を数えたりする。確かに、最近、メダカが何匹か亡くなったりした。だから無事生きてるかどうか気になるのはわからないでもない。でも、どうも、妻たる私の顔を見るより、水槽を見ている時間が長いような気がするのは気のせいだろうか。メダカや金魚に焼きもちを焼くのっておかしいだろうか。
だいたい、水で飼うのは最初はメダカだけだったのが、そのうちどじょうも飼うようになり、今は金魚も飼っているのは、生きもの屋さん(小鳥とか魚を売っている)のいいカモになっているのではないだろうか。
確かに、部屋の中に生きものがいるのは、心がなごむ。そして、生きものの世話を引き受けている夫が、また、心やさしい人なのである。ひいき目もあるが、生きものが好きな人は、いい人だというのは当たっていると思う。
そんなわけで、結局、また、夫自慢になってしまった。