宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

インスタ映えしない食事の写真

食事の写真をFacebookInstagramにあげている人は多いと思います。

かく言う私は、毎食前に食事の写真を撮っていますが、とてもとても人様にお見せできる写真ではありません。けっこうテーブルの上に食事以外のものがのっかっているからです。しょうゆ、ポン酢、ソースなどの調味料だったり、シミを取り除くためのビタミン剤だったり、充電中のスマホだったりが雑然と食器の周りにあります。

だから、そういうのをどかして、人様に見てもらうために、カメラの角度に注意したり、盛り付けに注意したりするんでしょ!!って頑張っている人には申し訳ないぐらい、ごたごたしている私の食事の写真。

何のためにとってるの?って言われれば、まあ、日記みたいなもんです。

実際、食事の記録もノートにつけているのですが、あれ、昨日の夕飯何食べたっけ?というときに、写真があると助かります。

あえて、食事以外のものをフレームの中に入れるときもありますね。朝食は、いつも一人で食べるので、パソコンでYouTubeを見ながら食べるのですが、そのパソコンもちょっとフレームの中に入れたりします。あとで写真を見たときに、ああ、そういえば、このころは、YouTubeを見ながら食べてたなあ、とか思い出せるように。

というわりには、昔の食事の写真、見ないですけどね(笑)。

食事の写真を撮るようになる前から、食事の記録はノートにつけていました。なんでそういうことをしているかというと、私の母の姉に当たるおばさんが、ずっと食事の記録をノートに記録していて、そのノートの古いものをいただいて、えらく感動したからです。朝、昼、夜、すべて、毎日記録してありました。外食ももちろんです。おばさんは、旦那さんを早くに亡くして、ずっとひとりで暮らしていました。その食事の記録は、ひとり暮らしとは思えない充実ぶりで、食事を作ることが生きる支えになっているのがひしひしと伝わってくる記録でした。

私の食事の記録はぜんぜん大したことないんですけど、それでも、まあ、生きてきた記録です。生きる支えというほどおおげさなもんじゃないですね。

せっかく記録をつけているんだから、時々は振り返ったほうがいいかもなあとこのブログを書きながらあらためて思いました。