宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

呉服屋さんの着付け教室

ずっと、着物に憧れていた。

多分、それは、お茶を習ったことがあったからだと思う。

大学生の頃、母が、お茶かお花かどっちかを習ったほうがいいよ、と言って、たまたま母の友達の友達がお茶の先生をやっていたから、お茶を習うことになったのだ。

お茶を習い始めた頃は、着物への憧れはそんなに強くはなかったのだが、お茶を習い始めて数年経った時、年の初めの「初釜」に参加した時、私以外の人はみんな着物を着ていて、私だけスーツ、ということがあって、その時、やっぱりお茶をやる人は着物も着るんだな、と強く思わされた。それから着物への憧れは強くなった。

幸いなことに(?)私の母が嫁入りの時実家から持ってきた着物があり、自分で買った浴衣と、つけ下げ訪問着はあった。だが、着付けができない。着付けを習う機会がないまま、時が経った。

 

やがて夫と住むことになった町に、一軒の呉服屋さんがあった。

まだ独身の時、夫の部屋に遊びに行った帰り、その呉服屋さんの前に、くるくる丸めた紙がたくさん箱に入っていて、その箱に、無料着付け教室、と書いてあった。おお、無料着付け教室!!その紙を取って広げると、日程と持ち物が書いてある。さっそく、親にも将来の夫にも内緒で、着付け教室に申し込んだ。

呉服屋さんの奥まったところにある座敷で、着付け教室は行われた。先生はベテランのチャキチャキした先生で、生徒はおばさんが多かった。

着付けは思った以上に難しかった。初日は、帯を結ぶところまでは到底届かなかった。でも日を重ねるにつれ、少しずつ着物を着られるようになってきた。

そのうち、先生が、家にある着物持ってきて、着られるかどうか見てあげる、と言い出した。それで、母の着物を持ってくると、先生は、これは洗い張りしたら?と、店の人を呼んだ。店の人が、そうですねえ、これは洗い張りですねえ、と言うので、いくらぐらいするんですか、と聞いたら、〇〇〇〇円です、と言う。その値段がそんなに高くもないかな、と思ったので、洗い張りをお願いした。そんなふうに、その呉服屋さんとの付き合いが始まった。

私にとってうれしかったのは、母が私の小学校の卒業式の時に着た着物を、私の寸法に合わせて仕立て直してもらったことだ。その着物を着て、結婚記念写真を撮った。それだけでも、着付け教室に行った甲斐はあったと思う。

新しい着物や帯を買ったりもしたのだが、結婚を機にその呉服屋さんに行くこともなくなってしまった。そして数年前、なんとその呉服屋さんは潰れてしまった。

今でも、箪笥の中には、虫干もせず、着物がしまわれている。そして、私は、着付けの仕方を忘れてしまった。