宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

れんこんは私のソウルフード

野菜の中で、私にとって特別な位置を占めるものがある。

それは、れんこんだ。

私の父と母は佐賀県の出身だ。しかも、たどっていくと、佐賀県の中でも、同じ、有明海に近い地域の出身である。その地域の名産物が、れんこんと玉ねぎと海苔だ。

玉ねぎは、他の県でもとれる産物だが、それでも、さが玉ねぎ、と書かれたダンボールが八百屋の店先に積まれる季節になると、心が躍る。いわゆる「新玉ねぎ」である。そりゃあ、どこの地域だって、新玉ねぎは新玉ねぎだけど、やっぱり私にとって佐賀県産の新玉ねぎは特別だ。

おっと、話がそれた。

れんこん、である。母は、自分の出身地の名産物であるれんこんが、旬の季節になると、よく、れんこんのきんぴらを作ってくれた。きんぴらといえば、あの、ごぼうとにんじんで作る、あれである。炒めて、しょうゆとみりんをからめるやつ。あれをれんこんで作るのである。他の家庭でも、れんこんのきんぴら、作るのだろうか。友だちとそんな話をしたことはないけれど。

れんこんって、あんまり、主役になるような野菜ではないような気がする。唯一、れんこんを使う料理で私の頭に思い浮かぶのは、筑前煮だ。れんこん、ごぼう、にんじん、こんにゃく、しいたけ、鶏肉あたりが材料として定番らしい。そして、その料理が思い浮かぶシーンは、お正月だ。母が作るおせちの中に、筑前煮は必ず入っていた。

まだ母が生きていた頃、毎年、12月に入ると、田舎から細長い箱に入れたれんこんが送ってきたものだ。泥つきのれんこんだった。それを泥つきのまま、新聞紙に包んで、私のピアノの先生や、お茶の先生などに、お裾分けしたりしていた。

そんなふうに、思い出がめぐるれんこんである。ソウルフードというのは大げさかもしれないが、私にとって思い入れのある野菜である。