宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

ソーシャルディスタンスを保つスポーツ

今日、公園に散歩に行った。

 

数日前に行った時は、グラウンドでバッティング練習をしている親子がいたが、今日は、キャッチボールをしている親子しかいなかった。それを見ながら思った。

野球って、ソーシャルディスタンスを保てるスポーツかもしれないなぁ。

選手たちは相当離れて立っているし、滅多に近づくことはない。キャッチャーとバッターはまあ近いかもしれないし、ランナーがホームインする時にも近いけど。ああ、それぞれのベースでランナーとタッチする時も近いかな?でも、ランナーは走り抜ける感じだよね。

まあ、野球の練習は一番簡単にできるのがキャッチボールだから、キャッチボールする分にはソーシャルディスタンスは保たれる。

これがサッカーになると、サッカーの練習は、パス練習もあるかもしれないが、今日公園で見かけたのはリフティングだ。リフティングはひとりでできるから、まあ、ソーシャルディスタンスが保たれるかもしれないが、2人でできるキャッチボールに比べて、ちょっと孤独だ。

公園には、テニスの壁打ちをしていた人たちもいた。テニスとか卓球とかの練習は壁打ち系だ。これは壁がないとできない、という面もあるが、まあ、ソーシャルディスタンスは保たれるかもしれない。

他に、バドミントンをやっていた人もいた。バドミントンは室内でやるスポーツだけど、外でもできる。私も子供の頃、母や妹とよくやったものだ。風が吹いてない時は、けっこう楽しめる。ソーシャルディスタンスも保たれる。

 

ふと思った。私はすっかり、ソーシャルディスタンスのことをまるで必須のことのように考えている。ほんの1ヶ月前までは、知らない言葉だったこの言葉が、今、日常生活に入り込んでいる。

これからもまた、新しい言葉や状態が、日常に入り込んでくるかもしれない。目まぐるしい変化の中で、心がキツキツにならないように、どこかで、ゆとりを持てるように、自分を守りたい。

 

そういえば、そのために、散歩に出たんだ、ということを思い出した。