宇宙葬ひとりで星になるならばそれもいいかとぬか床混ぜる

日常から、とんでもない妄想まで。メンタルちょっと弱めです。

母は数学の先生

おととい、仕事の帰りに、バケット(フランスパン)を買った。私は、朝、このパンを食べるのだが、3日かけて食べる。このパンは250円。1日あたりいくらだろう?250を3でわると、と考えるがパッとは暗算できない。だけど、240を3でわると80で、90×3が270だから、250÷3の答えが80と90の間であることは察しがつく。

そんな考え方は、母から教わった。母は、中学校の数学の先生だった。もっとも、母が中学校の先生をやっていたのは、結婚する前の1年間だけで、母は、結婚すると父の望みで専業主婦になった。とはいえ、私が子供の頃は、家の一部屋で、近所の子を集めて補習塾みたいなことをやっていた。

そのかたわら、自分の子供にも、計算のちょっとしたコツとか、ちょっとずるいやり方のようなものを教えてくれたのだ。「算数の探検」という、小学校の算数を物語仕立てで読める本のシリーズも家にあり、私はよくそれらの本を読んでいた。

私は中学受験をしたのだが、その時の算数の勉強は、すべて母に負うていたと言ってもいい。小学校の範囲の算数は、母のおかげでなんとか切り抜けられた。

中学校に入ると、学校が受験校だったこともあり、母の手に負えないような感じになって、だんだん数学が苦手科目になってしまった。

いろいろあって、補習塾を続けられなくなった母は、ちょっと寂しそうな感じだった。

母は、父の兄のつてで、通信制高校の添削教師を長いこと続けていた。それだけが唯一、母の「仕事」だった。

母は、普段は口に出さなかったが、本当は仕事を続けたかった。だから、たまに気分が高ぶると、名刺が欲しい、とか、アルバイトしたい、とか言い出す。普段は無口な人なのだが。

補習塾をやって、自分の子どもにも算数を教えていた頃が、母にとって一番充実していた日々だったのかもしれない。